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第1回 心の悩みと心理療法

 生きていく道筋はつらいことが多い。何も悩まずに生きている人はいないだろう。仏教は「生きていること自体が苦しい」と考えるようであるが、人生の一つの見方ではあるとはいえ、私は、この考え方に全面的には賛成できない。人生そのものは地獄でも天国でもない。時に、地獄のようなときもあれば、天国のようなひとときに恵まれることもある。そして、ほとんどの時間はごく普通の淡々とした日常が流れている。だから、つらいときをすごしていても、やがて幸せな時が来るという希望を持つことは大切なことだ。

 それとともに、人は苦しみからの救済のために宗教というものを見出した(私は創り出したとは言わない)。あらゆる人種・文化には内容は異なるが宗教と呼べるものがある。不思議なことだし、当然のことかもしれない。長い間、人の悩み・心の苦しみには宗教が向き合ってきた。今も宗教で救われる方も多いだろう。しかし、人類は20世紀初頭以来、心理療法という今一つの心の悩み・苦しみに向き合う手段を創り出した。それはフロイト・ユング・アドラーの三者の功績による。そして、特にフロイトが確立した精神分析を中心に心理療法は、多くの思想と同様に発展し変容してきた。今や、アメリカだけでも400にのぼる学派(ある考え方のもとに、それに伴った治療的な技法を持つものを学派と呼ぶ)と言われている。その学派の多様性は宗教にも似ている。わが国においても精神分析をはじめ、ユング心理学、来談者中心療法が導入されて以来、他の様々な学派が導入されてきた。そして、一時期、流行したものの、その後、廃れていき、一部の人のみによって継承されているものも多い。この点も宗教に似ている。

 今や、わが国においても、多くの学派の方が、それぞれの学派の考えのもとに臨床を行っている。私の考えでは、あらゆる悩み・精神疾患に効果的な万能な学派はないと思っている。逆に言えば、このような悩みには、この学派が良いという得意な領域を各学派が持っている場合が少なくない。だが、万能ではないのだ。そのため、クライエントの悩みの内容によってアプローチをかえている統合的・折衷的なアプローチのセラピストも少なくない。私自身、クライエントの悩みや問題によって各学派の考えや技法を参考にしながらも、それぞれの悩み・問題に向いているであろう方法で治療をしている。皆さんもわかるであろう、中年のうつ病の治療と中学生の不登校の悩みに対する治療が同じであるはずがないことを…。 

 私は、個人的には精神分析をスタートに様々な学派を学んできた。深さには自信はないが、その範囲の多様性は誰にも劣らないものとさえ思っている。だから、クライエントにたいしてアプローチを変えられる。しかし、理想的なのは、ある施設にさまざまな学派のセラピストがいて、クライエントの悩みに対して、それぞれに向いたセラピストが担当できることだと思う。当センターはそういう先端的な考えのもとに設立されたものである(まだ、不十分なところがあるが)。いずれ、このような施設が増えていくことだろうと思っている。

 当ブログでは、心理療法の各学派の発展変容の流れと、どのような悩みや問題にはどの学派が向いているのかについて、私なりの考えを述べる予定である。そして、徐々に、人が悩むことの意味を考えてみたいと思っている。