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第5回 人は何を苦しみ、どのような悩みを抱くのか

人は何を悩み、何を苦しむのでしょう。そして、その原因・要因は何なのでしょうか。これまでのコラムでは、心理療法の発展とともに、各学派が人の悩みをどのように考えてきたかを述べてきましたが、今回は、精神医学的な視点から心の苦しみ・悩みを考えてみたいと思います。

参考にしますのは、アメリカ精神医学会が発表している最新の精神疾患の分類(DSMと呼ぶ)です。ここで、少し、このDSM-Ⅴについてお話ししたいと思います。実は、私の若いころは精神医学の診断の基準が曖昧でした。日英の精神科医が同じ症例に対して診断したところ、その診断が異なることがあるという研究もあるほどでした。そのような状況に対して、アメリカの精神医学会が、新たに診断のマニュアル化を行ったのです。それがDSMで、すでに第五版に及んでいるので、DCM-Ⅴと呼ばれます。特にDSM-Ⅲから、急速に診断基準のマニュアル化が進み、改変されるごとに修正がなされてきました。WHOにも診断基準がありますが(ICDと呼ぶ)、今や、そのICDすらDSMを参考にして作成されており、世界中でDSMが使われています。研究論文なども、DSMにのっとっていないと通用しません。ここにも、アメリカの力が反映しています。DSMに批判的な精神科医も少なからずおられますが、私としては、病気の本質論や微妙なニュアンスは全て省いて、単純化し、マニュアル化し、使いやすくし、わかりやすくし、システム化したこのDSMはとても臨床に貢献したと思います。この単純化、わかりやすさ、現場での使いやすさ、システム化はアメリカの得意とするところで、心理療法においても、アメリカ生まれの認知療法(認知行動療法)も、単純化、わかりやすさ、使いやすさ、システム化という意味では共通の性質を持っています。つまり、アメリカ的なマインドスタイルに合っているものなのです。逆に言えば、欧米で盛んに為されていた病気の本質論の議論は、完全に無視されています。それを不満に思われる方もいると思いますし、同じ批判は認知(行動)療法にも向けられる場合があります。

このDSM-Ⅴを見ると、精神疾患は大別すると以下の5群に分けられるようです。まず1群としては、狭義の病気の発病によるものです。これには統合失調症(幻聴を中心とした幻覚や被害・誇大妄想などが見られます)と双極性障害(ハイな状態とうつ状態とを繰り返す病ですが、一見、うつ状態だけが見られてうつ病と診断されても、本当は双極性障害のうつ状態であることも少なくありません)と一部の本格的なうつ病が含まれます。この種の疾患には、薬物療法を中心とした医学的なアプローチが治療の中心になります。

2群としては、本人の生まれつきの問題があります。ここには、自閉性スペクトラム障害ADHDをはじめとする様々な神経機能の発達障害と、性格の偏り或いは歪みを抱くパーソナリティー障害とが含まれます。パーソナリティー障害については、どこまでが生まれつきで、どこまでが養育環境に由来するものかという問題は難しく、次に述べる神経症と深い関係を持ち、分かちがたい障害とも言えます。

 それでは次の3群となる神経症とは何でしょうか。それは、ある程度、平均的な健康な人格あるいは性格でありながら、不安やこだわりを中心とした精神症状を悩んでいる状態と言えましょう。この群をDSM-Ⅴでは大きく二つに分けました。これは新しい試みです。それは「不安性障害」と「強迫関連障害」との二つです。「不安性障害」には、パニック発作を苦しむパニック障害や漠然たる不安を持ち続ける全般性の不安障害、特定の状況や対象を過度に怖がる恐怖症(高所恐怖や閉所恐怖など)、対人場面で過度の緊張に陥る社交不安障害(わが国では対人恐怖症とよばれもの) などが含まれます。次に「強迫関連障害」としては、強迫性障害(汚れなどを過度に気にして何度も手洗をするなど)、身体醜形障害(自分の容姿をひどく醜いと悩むもの)、ため込み症(「hoarding」の日本語訳ですが、ゴミ屋敷などを起こす人の中には、この障害の方が含まれているものと思われます)、抜毛症などなどが含まれます。これらは、従来、神経症と呼ばれていた障害あるいは悩みとも言えます。軽症のうつ病(抑うつ神経症と呼ぶ)も神経症に含めてよいかと思いますが、DSM-では、気分変調症としてうつ病圏の障害としてまとめられています。このような神経症的な悩みこそ、心理療法が治療の中心となる状態あるいは悩みと言ってよいでしょう。

これまで、述べたことからもわかるように、神経症的悩みとは、例えば、高いところが怖いとか、対人関係でひどく緊張するとか、自分の容姿を悩むとか、汚れなどをこだわるなど、一般の方も、一度は、そのうちの何かを悩んだ経験があるものだと思われます。ですから、どこまでが健康な悩みで、どこからが病的な悩みなのかの境が曖昧です。DSMでは、社会生活に困難をきたすほどであれば、一応、病的と考えるとしています。しかし、やはり、病的な悩みと健康な悩みの境は曖昧なままです。ただ、神経症的な悩みにおいても(特に強迫関連障害の悩みについてはそうですが)、かなり薬物療法で効果が見られることも多く、何らかの神経生理学な過剰反応などがベースに存在している可能性がありますので、ただ、「そんな悩みは皆が悩むもんだよ」として簡単に扱うことは誤った対応であることも多いのです、とにかく、本人はとても悩み苦しんでいるのです。

次の4群としては、本人には問題がなく、環境要因によるものが含まれます。この群には、外傷体験PTSDなどの激しい過酷な体験によるものと、苦しい体験や劣悪あるいは自分に合わない環境に持続的に苦しんでいる適応障害とが含まれます。やはり心理療法が必要な病態と言えましょう。余談になりますが、皇后陛下の雅子様は宮内省の発表では「適応障害」とされています。その真偽はとにかく、「病気ではないのですよ」と言いたかったのだと思いますが、悪くすると環境が悪いために具合が悪くなられているということとなり、皇室の環境に原因があることになってしまうので、この病名を公表されることには微妙な問題が潜んでいると思います。

最後の5群には、これまで述べたグループに入らない特殊な問題や悩みの病態が含まれます。まず、アルコール中毒薬物中毒のような様々な嗜癖の問題。また、性機能・性的嗜好・性別性の問題、睡眠や食行動(摂食障害など)の問題などが含まれます。それぞれに特殊な治療が考案されていますが、心理療法的アプローチが必要なことの多い悩みでもあります。特に、性機能の問題(インポテンツ・不感症など)の治療はアメリカなどと比べ、わが国は大きく後れを取っていると思います。また、性的嗜好(同性愛など)や性別性の問題(身体の性別と自分抱く性別が異なるなど) は本人が悩んでいなければ、治療の対象にならず、本人の生き方であるとされてきています。私もこの考えには賛成です。

アメリカの精神疾患分類のせいか、不登校・ひきこもりについての明確な言及はありません。子どもが学校にいかなくなった時の対応が日本とは異なるので、不登校が大きな問題とならないようです。わが国においては不登校は、成人したのちの「ひきこもり」とともに、とても重要な問題であり、やはり、心理療法的アプローチが必要な心理状態であることが多いと思います。

あなたが精神的に苦しんでおられたら、以上に述べた5群のどこかに入ります。ここで参考にしたDSM-Ⅴは、翻訳もされていますので、自分で読んでみられるのも自己理解に役立つものと思われます。もちろん、我々専門家に聞いていただければ、「あなたはDSM-Ⅴでは、どこに当てはまります」とお答えすることもあります。しかし、診断のための本なので、治療については何も書いてありません。今後のコラムでは、神経症、人格障害、適応障害,不登校などを中心に適切な心理治療とは、どういったものなのかを述べたいと思います。

なお、従来は「ヒステリー」とされてきた「解離性障害」(心因性の健忘や多重人格など)、けいれん発作を起こすような狭義のヒステリーについては、非常に症例数が少ないこともあり、本論では省いています。