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第4回 どの治療法・セラピストを選べばよいのだろうか? 

前回までは、わが国の心理療法の状況を述べてきました。それでは、あなたが何かを悩み、何かを相談したい、あるいは肉親の問題などを相談したいという場合、これほど多岐にわたる心理療法の学派・流派があるのでは、自分に最適な治療法を選ぶことが難しくなってしまいます。皆さんも困っていらっしゃるのではないでしょうか。ですから、今回から二回にわたって「どのような心理療法が、どのような悩み・問題に向いているか」という点に関して論じたいと思います。

(これまでのコラムで心理療法の歴史について述べましたので、どうしても、今回は、それらの内容と重複することがあると思います。)

 実は、心理療法の専門家ですら、例えば、精神分析だけを学んでいるセラピストは、他により効果が見込まれる治療法があるとしても、そのことについては詳しく知らないことが多く、誰が来ても精神分析をすることになります。もちろん、長年,精神分析をしていれば、精神分析に向いているクライエント、向かないクライエントの判断はできなくてはなりませんが、それも出来ていないセラピスト(精神分析ではアナリストと呼ぶ)がいるようにも思います。まるで信仰のように、その治療法に心酔しているセラピストも少なくなく、向かない治療法を受け続けているクライエントのいることも予想されますこれは、とても不幸なことです。わが国の心理療法のトレーニングの方法にも問題があることは間違いありませんが・・・。

 誰が考えても、すでに触れましたが、思春期の不登校の子どもさんに対する心理療法と、中年期のうつ病になられた方に対する心理療法は異なるアプローチが必要だということはお分かりになるでしょう。そして、それぞれの治療法・学派には、得意とする悩みや問題があるのです。うまくマッチングしないと不幸なことになりかねません。例えば、アルコール中毒や薬物中毒などの嗜癖の問題や、特定の外傷体験などに対しては、個人療法よりもグループ療法がとても効果的であることがわかっています。しかし、これ以外には、どのような学派が、どのような悩み・問題に向いているかという「比較精神療法学」のような学問は発展していません。議論される場合はありますが・・。

  私自身は、入局した医局(慶応の精神科教室)が、当時、精神分析の一大拠点になっていましたので、精神分析のトレーニングを10年ほど受けました。これはある意味とても幸運なことでした。しかし、その後、精神分析に向かないクライエントが多くいることに気付き、臨床家として、クライエントにとって何が最も適した治療法であるかを判断できない、あるいは、そのことを判断するだけの勉強もできていないことに愕然とするとともに、臨床家としては、そのような状況は、大変、無責任だと思うようになりました。

そんな時に、アメリカのあるセンターでは、クライエントが受診すると、さまざまな立場の心理療法家が集まり、そのクライエントにとって、どの治療法が最適かを相談して、担当者を選でいると聞き、本来は、そのようなシステムが望ましいと考えるようになりました(この点も、以前、触れました)。しかし、わが国のどこにも、そのような施設はありませんでした。そこで、自分自身が、まず多くを学ぼうと考えるようになり、必死に他の治療法を学べる機会があれば学ぶようになったのです。30歳代は、このことに費やされたように思いますが、今思えば、心理療法という広く多様な世界を彷徨していたように思います。いろいろ大変でしたが、心理療法家としては当時が青春期だったと懐かしく思い出されます。

かくして、ゲシュセラピーやグループワークなどを学ぶとともに、個人的にも各学派の先生の指導を受けつつ、自ら立ち上げた東京精神療法研究会というクローストの研究会に、様々な学派の方に来ていただいて、精神分析、ユング心理学、来談者中心療法、認知(行動)療法、交流分析、マインドフルネスなどなどをケース検討会を中心に学んできました。

そして、このような各学派の先生方に学ぶ過程で、わが国にも、多くの学派のセラピストがいて、各クライエントに適したセラピストが面接できる施設を作るべきだということになり、当時、上智大学の心理学部の教授をされていた故霜山徳爾先生や大正大学の村瀬嘉代子先生、横浜国大の馬場謙一先生等に顧問をしていただき、この青山心理臨床教育センター・青山カウンセリングセンターを立ち上げたものです。当センターは、少なくとも、力動的精神療法、ユング心理学,来談者中心療法、認知行動療法、マインドフルネス、そして統合的アプローチのセラピストがそろっているので、相談の申し込みがあれば、どの立場の先生が最適かを考えて、担当者を決めるシステムになっています。全てのセラピストは、私から見て、臨床能力の高い先生たちです。主要な学派の先生方は揃っておられます。このようなシステムのカウンセリングセンターは極めてまれであると自負しています。この点も第一回に触れていますが・・・。

 深さはともかく、広く多くの学派を学んできたという意味では、わが国でも私ほどに、多くの多様な治療法を学んでいる臨床家はそんなにはいないのではないかと考えています。る。(詳しくは拙著「実践心理療法」に私の臨床家として学んできた道筋が書かれているので参照いただきたい。)

 そういうことですから、どのような悩みには、どのような治療法が適しているかを語りうる立場にあると、少しは自負しているので、それについて今回は触れたいと思います。皆さんのヒントになればと思います。このようなことは、私の本以外は論じられていませんし、ネットを見てもわかりません。

 

「巨人の星」の星飛雄馬が心理療法を求めてきたら・・・

 前置きが長くなりましたが、各治療法に対して述べる前に、具体的なイメージをつかんでいただくために、ある想像のケースについて簡単に触れたいと思います。それは「巨人の星」の星飛雄馬(やや古い例ですが)が相談に来たという設定でお話ししたいと思います。

 「星飛雄馬」が、ひどいスランプに陥って、相談に来たと考えてください。

 先ずは、何が問題かという点を探ります。フォームが崩れているのではないか、ボールの握り方が悪いのではないかという具体的な内容で、これには野球の専門知識が必要になります。このような内容であれば、いろいろ具体的なアドバイスをして試すことになるでしょう。これは「問題解決療法」というアプローチに似ています。とにかく考えられる問題点をリストアップして、その中からスランプの原因になっている可能性の高い問題に取り組みます。例えば、フォームを治して解決すれば、それはそれでよいのです。そういう場合もあるでしょう。また、問題が、ボールを投げようと思うとひどく不安になっていることが明確になれば、その不安に対処することを中心テーマに決めて治療を行います。特に、その不安の背後に、一定のマイナスな考え、例えば、「自分は打たれるに違いない」「自分のボールは軽くてダメに違いない」というような考えがあれば、それを修正することを目指します。これは「認知療法」的なアプローチになり、無意識に抱いてしまうマイナスの考えを「自動思考」と呼びます。問題となる自動思考は複数ある場合もあり得ます。そして、それらを修正する訓練をします。問題点を表示したり(コラム法と呼ぶ)、宿題なども出したりします。このようなアプローチを、10数回の決められた回数で、しかも、テーマに沿って、問題の解決をプログラム化して対処しようとするのが認知療法ですし、似たようなプログラムされた治療法が、心理療法の一つのグループを成しています。問題解決療法認知療法対人関係療法(一定の対人関係に問題あるものと限定して、その問題に対処する治療法)などが含まれます。最近は行動療法(行動そのものをコントロールしようとする治療法です)を認知療法に取り入れた認知行動療法がはやっています。

 しかし、このようなアプローチで治療しても、全然、良くならないこともあります。それは、飛雄馬が、父親に無理やり野球をやらされたことに何となく気づき(あるいは無意識に何かを感じていて、その結果、スランプになっているなど)、心のどこかで自分は野球などやりたくなかったのだと感じ始め、野球へのモチベーションが下がってきている場合です。まあ―、無意識のうちに父親への反抗期に入ったとも言えましょう。この場合は、あれこれフォームを変えたり、自動思考を修正しても、本当の解決にはなりません。彼の生き方そのもの、彼がこれまで生きてきた人生の流れそのものを考えなくてはなりません。このようなアプローチが得意なのは、従来から行われてきた力動的精神療法(精神分析をふくむ)、ユング心理学来談者中心療法です。しかし、この三者でもアプローチは異なります。

まず、力動的精神療法であれば、幼児期からの生い立ち、特に恐ろしいほどに男性的な父親に支配されてきたこと、母親がおらず、優しいけれど無力な姉しかいなかったため、信頼に足る母性的な養育が欠けてしまっていたことなどを問題にする可能性があります。そして、何よりも父親への恐怖感がベースになり、それが「素晴らしいボールを投げないと全ての人に責められる、特に父親に負けることになる、それは絶対に嫌だ。あるいはそうなったら皆から見捨てられる」というような不安につながっていたことを明確にしていきます。そして、セラピストへの思いや(転移と言う)、その不安に対する無理な解決法(「防衛」と言う)を扱いながら解決していくのが力動的精神療法です。飛雄馬の場合、不安や恐怖を必死に野球に打ち込むということで打ち消そうという積極的ではあるが誤った防衛が見出されます。特にセラピストとの関係性を中心にアプローチするという方法が(転移を扱うという)より精神分析的な治療になります。(セラピストそのものを父親的な存在として無意識に恐れるなど。)

治療がうまく展開すれば、無意識に抱いていた深い恐れを洞察し、その恐れから解放され、改めて自分の人生を選び直していく可能性が高いでしょう。

ユング心理学であれば、「夢分析」などを通じて、自分の向かうべき道を無意識の何モノかが導いていってくれるものとしてアプローチします。すると、例えば、様々な海の夢を見たとします。この点を飛雄馬君と話し合い、その結果、このような夢が何を意味しているかに気付きます。それは自分が本当に求めているものが、男性的な勝負の世界よりも、力強く抱擁してくれるような母親的なもの、愛おしむような世界であったということかもしれません。そのことに気付いて、彼は野球を止め、人の世話をするような、例えば介護の仕事について、自分の本当に求めていた世界を見出すことができ、やっと心が満たされるという終わり方をするかもしれません。つまり、無意識の導きにより、まったく異なった世界が開けてくることで、解決に向かう可能性があるのです。 

来談者中心療法であれば、ひたすらセラピストが共感的に自己一致した態度で面接をすることにより、クライエントの本来の自己が育ち、自分は本当に野球をやりたかったのかということを真剣に考え始め、父親とも向き合い、いろいろな仕事を試していくなどの飛雄馬の自己探索の歩みを見守っていると、ある日、手答えのある「本当に自分」(real self)というものに出会い、やはり、野球しかないと考えて野球に新たに取り組むという方向性に向かうかもしれません。その時はスランプを脱しているか、スランプになっても、しっかり向き合うようになっているかもしれません。あるいは、他の生き方を真剣に考えたうえで、「本当の自己」をベースに選択をし直し、新たな道を見出していくという結末になるかもしれません。

 

 とても、戯画的に述べましたので、各治療の専門家から見ると、不満もあるかもしれませんが、ポイントは掴めていると思います。

 これで大枠はつかめていただけたと思いますので、次回からは、各治療法について、より詳しく述べていく予定です。