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第3回 精神分析以外の心理療法の歴史と我が国の現状

前回は、精神分析から多くの分派が発展したことを述べ、その中のいくつかは廃れつつあるが、現在も多くの臨床家が精神分析ないしは力動的精神療法で臨床をおこなっていることを述べた。今回は、精神分析以外の歴史的発展とわが国における現状を述べたい。

まず、歴史的に見るとユング学派はあまり変化変容を見せていない。数年前にスイスのユング研究所に留学された方に、使用したテキストをコピーさせていただいて読んでみたが、私がこれまで読んでいたユング心理学の内容とほぼ同じであり、新しい視点は見当たらなかった。どうも、ユング心理学では、一貫して、ユングの考えを中心に多少の発展(箱庭など)や分派もあるが、いい意味では、伝統的な考えを踏襲していると思う。そして、わが国においては河合隼雄氏が本格的に紹介することで急速にユング派の臨床家が増えた。私はユング学派の専門家ではないが、ユング派の臨床家の方々との症例検討をすると、症状などの問題を扱わず、夢分析などを行っていくうちに何故か、問題が解決するというケースを何度も経験している。ユング学派は[無意識]にこそ、人の変容・成長を促す力があると考えているようで、そのために、いかに良い形で無意識の世界と交流させるかが大切だと考えるようである。その一つが夢分析であり、箱庭の制作でもある。それゆえ、問題解決的なアプローチが少なく、現実的な問題や性格の問題などを扱う私には、雲をつかむようなやり取りを聞いているような気がすることがある。しかし、良いセラピストの治療を受けたクライエントは、確かに新しい生き方に変容していくように思う。また、ユング自身も言っているが、思春期・青年期には精神分析の方が向いており、成人期・中年期の問題にはユング派が向いているというのは本当だと思う。思春期・青年期という時代は新たに現実の世界や現実の自分と向き合うときであり、具体的な問題に苦しむことが多い。しかし成人期以降、特に中年期以降は、自分の内面の問題と向き合うことが大切になるからだと思う。自分の内面を見つめたい方はユング派のセラピストに面接してもらうことがよいと思う。

 来談者中心療法もロジャースが精神分析を学んで実践しているうちに限界を感じて、彼自ら、新しい考えを基に新たなアプローチを考え出したものである。わが国には精神分析より前に、本格的な心理療法として最初に紹介されたこともあり、しかも、東大の佐治先生など優秀な臨床家を多く輩出したので、わが国においては、カウンセリングの代名詞になっているほどの学派として発展した。多くの臨床家が、この考えのもとで臨床を行っている。特に年配の臨床心理士の方はほとんどがこの来談者中心療法を学ばれた方だと思ってまちがいない。この学派は、ひたすら、共感と傾聴を大切にするので、下手な面接者だと、ただ話を聞いてくれるだけという面接になりかねないのが問題ではある。この学派には、共感的な交流を通じて、クライエントの「本来の自己」(real self)がセラピストに受け入れられる、あるいは響きあうことで、本来の自己が成長するという考えがあるから、このような方法をとるものである。症状などを直すというより、本来の自己が成長することが、結果、治療的な意味を持つという考えである。かなり健康な心理状態の方に向いていると思っている。私自身は臨床で治療するほどではない学生相談のような状況では(一時期、大学の保健管理センターに勤めていたので)、このアプローチが向いていると感じている。丁寧に共感的に傾聴していると、クライエント(学生)は自ら、自分の本当の気持ちに気付き、自分であるべき選択ができるようになり、治療が終了するという体験を何度もしている。ただ、病的な問題については、すこし物足りなさを感じている。そして、「本来の自己(real self)」とは何かという問題は未解決なままである。

 結局、わが国においては、まず、本格的に導入された来談者中心療法、そのつぎに導入された精神分析および力動的精神療法、そして、少し遅れてユング心理学の方々を中心に臨床が行われてきたが、そこに大野先生が認知療法をわが国に導入され、今や、認知療法あるいは認知行動療法が花盛りであり、大学病院や研究所などでは盛んにおこなわれている。私自身は、認知(行動)療法は、ベックが不安性障害と軽症のうつ病の治療を通じて、確立したことからもわかる通り、この両者の病理には、とても効果があると考えている。他の病理にどの程度の効果があるかはこれからの問題だとも思っている。精神分析などの学派は人間学が背景にあり、学ぶには、数年から10数年かかるものであるが(時には生涯をかける方もおられる)、認知療法は、いかにもアメリカ的な学派であり、理論もシンプルでわかりやすく、治療もマニュアル化されているので、何週間かの講習と、ある程度の実習をすれば、使えるようになるので、多くの方が飛びついているようにも思っている。臨床は現場のある実践の場であり、わかりやすく、使いやすく、学びやすいことは大切な長所である。そういう意味でも、とても魅力的な治療法であるとは思っている。しかし、あらゆる学派がそうであったように、これから反省期に入ると思っている。

 結局、わが国においては、精神分析・力動精神療法、ユング心理学、来談者中心療法を長く学び、それを実践している臨床家がかなりいるとともに、最近の流行として、認知(行動)療法が臨床場面を席巻しているというのが現状である。そして、少数の方ではあるが、交流分析、ゲシュタルトセラピー、家族療法など、一時期、流行した学派を踏襲している方が少数いるというのもわが国の現状である。

また、各学派の良い点を取り入れ統合して行っている方々もいて、それを統合的アプローチという。実は、私はこの立場をとっている。敢えて言えば、精神症状の内容や悩みの特性に合わせた治療を行っている立場ともいえる。このような立場の方も少なくない。

また、わが国で創立された森田療法、内観療法も適した方には、効果の高いものだと考えている。数は少ないが、奈良にある内観療法の本部のように良い治療施設がいくつか存在する。

 精神症状の治療という意味では、心理療法ではないが行動療法も的を射た治療対象には効果的だと考えている。最近はやりのマインドフルネスも多少の心の安定には効果的な場合もあるが、本格的な治療には、マインドフルネスだけでは足りないと考えている。

 以上で、ほぼ、わが国で行われている心理療法のすべてを簡単ではあるが網羅できたと思っている。我々は、以上に述べた心理療法のどれかを選んで治療を受けることになる。そのため、すでに述べたことではあるが、適切な治療的アプローチを選ぶことがとても大切となる。

次号では、どのような問題や悩みにはどの学派が向いているのかについて、例を挙げて述べたいと思っている。